犬吠埼潮の湯温泉 犬吠埼観光ホテル(いぬぼうざき うしおのゆおんせん いぬぼうざき かんこうほてる)(千葉県)

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  • 明日(1月8日)銚子市・常世田山常燈(灯)寺(以下、常世田山常灯寺と表記)にて、初薬師、国指定重要文化財常灯寺木造薬師如来坐像一般公開(御本尊御開帳)・千葉県指定有形文化財常世田山常灯寺本殿公開が執り行われます。
    常世田山常灯寺ですが、銚子市常世田町に鎮座する真言宗智山派の寺院で、山号は常世田山です。
    常世田山常灯寺の御本尊ですが、薬師如来を祀っており、常世田山常灯寺は、地名である常世田町と、御本尊薬師如来の名称から常世田薬師と呼ばれています。
    常世田薬師こと常世田山常灯寺の創建年代等は不詳だそうですが、伝承によりますと、行基によって開創された寺院であると伝えられています。
    常世田山常灯寺は、目の病気に御利益があるとされ、人々に篤く信仰されており、常世田薬師と呼ばれ、広く親しまれてきました。
    また常世田山常灯寺は、江戸時代から明治時代にかけ、東総の三薬師のひとつとして興隆を極めていたそうです。
    ちなみに東総の三薬師とは、銚子市の常世田山常灯寺、旭市の尾瀬川薬師寺、匝瑳市の泉養院(現在、廃寺)だったそうです。
    国指定重要文化財常灯寺木造薬師如来坐像一般公開(御本尊御開帳)ですが、初薬師にあたる毎年1月8日、7時00分から12時00分まで常世田山常灯寺収蔵庫をを開けて、常世田山常灯寺御本尊である寺宝・木造薬師如来坐像を御開帳する行事で、国の重要文化財(彫刻)に指定されている木造薬師如来坐像を年に一度一般公開する催しです。
    また国指定重要文化財常灯寺木造薬師如来坐像一般公開(御本尊御開帳)当日、昨年修復工事が無事完成した千葉県指定有形文化財に指定されている常世田山常灯寺本堂も公開されるそうです。
    国指定重要文化財常灯寺木造薬師如来坐像一般公開(御本尊御開帳)では、当日常世田山常灯寺にて子どもたちの健(すこ)やかな成長を祈願する魔除けの御朱印をおでこに押してもらうことができるそうです。
    (参拝者のうち希望者に御朱印の捺印をしてもらえるそうです。また御朱印ですが、体に押してもらうと無病息災の御利益があるといわれています。)
    国指定重要文化財常灯寺木造薬師如来坐像一般公開(御本尊御開帳)に合わせて行われる行事ですが、10時00分から豊実会の皆さんによる鳴り物披露(鳴り物披露中は本堂見学できません)や、常世田山常灯寺門前にてリカーハウスかまたさんが参拝記念酒(1.8l・3000円、720ml・1500円)販売が行われるそうで、売り上げ金の1割を常世田町に寄付されるそうです。
    なお、常世田山常灯寺にて、初薬師(1月8日)に赤ちゃんが参詣するとすくすく健康に育つといわれています。

  • 明後日(1月8日)の成人の日、匝瑳市・三社神社にて、金原の大篝(かなばらのおおかがり)が執り行われます。
    金原の大篝ですが、金原の御奉射(かなばらのおびしゃ)ともいわれる神事で、三社神社にて毎年成人の日の未明に行われている大篝と、御的神事です。
    金原の大篝は、成人の日の前日の午後から当番の人々の手で準備され、松薪や、青竹等が、円錐形(えんすいけい)に、大人の背丈よりも高く山のように積み上げられます。
    金原の大篝では、三社神社社殿で儀式を行った後、大篝(高さ約6m、周囲15m)に火が入り、火が入ると参拝の人も集まり、篝火(かがりび)を囲み、御神酒(おみき)が振る舞われるそうです。
    金原の大篝の大篝ですが、赤々と燃え上がり、時折青竹が勢いよくはじけ、まさに悪疫を祓う、文字通り炎の神事となっています。
    また三社神社拝殿の周りには、弓と的があり、大篝に火を入れた後、七五三の男子(子どもたち)が射手となり、矢を射ることから、金原の御奉射とも呼ばれています。
    なお金原の大篝の炎にあたると、風邪を引かないという伝承もあるそうです。
    匝瑳市では昭和50年代前半に、旧・八日市場市域を調査したところ1月から2月にかけて、2、3の集落を除き、ほとんどが大字(集落)単位で、おびしゃや、せいれんが行われていたそうです。
    旧・八日市場市では、行事の由来や、内容を記した記録も探したようですが、わずかしか見つからず、その中に、江戸時代の金原村(飯高地区)での御奉射があったそうで、金原村には日蓮宗・妙大寺があり、同寺で3つの御奉射が行われていたそうです。
    3つの御奉射ですが、下記の通りとなっています。

    1月13日は、御本尊・三宝様(さんぽうさま)の御奉射で、この時に集金したお金は、村内の橋の架け替え費用等に充てられていたそうです。
    1月28日は、鬼子母神(きしもじん・きしぼじん)のおびしゃがあったそうで、1751年(寛延4年)頃から始められたと記され、明治の記録にもお堂が存在し、鬼子母神が安産信仰されたことから、おそらく女おびしゃであったと推測されています。
    2月8日は、妙大寺のお曽師(そし)様(日蓮)のおびしゃで、1852年(嘉永5年)に村役人に願い出て始まったとされています。

  • 本日(1月6日)の犬吠埼の様子です。
    昨日の天気とは打って変わって快晴、清々しい天気で、ご宿泊のお客様も喜ばれていました。

  • 明後日(1月7日)深夜、匝瑳市・妙長寺から八坂神社にて、小高のはだか参りが執り行われます。
    小高のはだか参りは、毎年成人の日の前日、22時00分から23時00分頃に行われる恒例の水ごり行事です。
    小高のはだか参りは、妙長寺の門前に集まった下帯1本の若者たちが辻で水垢離(みずごり)をし、身を清めた後、駆け足で約500m離れた八坂神社まで行き、無病息災・家内安全・五穀豊穣を祈願するそうです。
    小高のはだか参りでは、帰りは手を取り合い、
    「ヒーヒーガンガン」
    と面白いかけ声をあげながら戻ってきて、最後はお供え餅も奪い合って終わりになるそうです。
    小高のはだか参りの参加者ですが、40人前後となっており、規模は小さなお祭りですが、奇祭として知られていることから、遠方からの見物客も年々増えているそうです。
    小高のはだか参りの見どころのひとつ「水垢離」では、汲み置かれた水を手桶で勢いよく浴びる場面を見ることができるそうです。
    水垢離の場面ですが、凍てつく寒さの中での水垢離の際、身体から湯気が湧き出て、その勇壮さに見ている観客も興奮してしまうそうです。
    小高のはだか参りの始まりですが、今から300年前、あるいは500年前から行われてきたと伝えられていますが、詳しい資料が残っていないため、どのようにして行われてきたのかは定かではありませんが、小高のはだか参りでお参りされる八坂神社は、男性器を模した棒が祀られている子宝の神様でもあり、小高のはだか参りは成人の日の前夜に行われてきたことからも、子孫繁栄を祈願し、始められたのではないかといわれています。
    (小高のはだか参りは、江戸時代後期に日蓮宗の僧侶の間で行われていた水垢離の行が起源という説もあり、以後、八坂神社の子授け信仰と結びつき、今日の姿のお祭りとして定着したともいわれています。)
    厳冬の中行われる小高のはだか参り当日の流れですが、深夜近く妙長寺に褌(ふんどし)ひとつの若者たちが集まり、大きな手桶が用意され水垢離をして身を清め、この後約200m離れた八坂神社まで一気に走り参拝、八坂神社本殿の周囲を3回周りながら祈願し再び妙長寺まで戻ります。
    妙長寺では、若者の代表者を胴上げして鏡もちを投げ取り合いが行われるそうです。
    小高のはだか参りでは、参加希望の問い合わせが時々寄せられるそうですが、真冬の夜の水垢離はとても寒く、実際の参加者の皆さんは、小高のはだか参りを終えると地元・近所の家のお風呂を借りているため、一般人の参加は事実上無理があるようです。

  • 明後日(1月7日)、茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮にて白馬祭(おうめさい)が執り行われます。
    白馬祭ですが、鹿島神宮で執り行われている神事であり、鹿島神宮に祀る神様のお目覚めの祭事で、新年に白馬を見ると一年間の邪気を祓うといわれる信仰と皇祖以下祖霊や、諸柛を祀る祭儀となっています。
    白馬祭では、蹄の音高く鹿島神宮神殿の前を駆け抜け、白馬祭が始まると、蹄の音が鹿島神宮境内に響き渡るそうです。
    白馬祭は1月7日(日)18時00分から執り行われる神事で、当日、時間になると鹿島神宮楼門の方から、鹿島神宮拝殿の方(馬のいる稲荷社の方)に神職が御神馬(ごしんめ)(白馬)を迎えに行き、鹿島神宮にご神馬(白馬)が入場します。
    御神馬(白馬)が入場すると、鹿島神宮拝殿前の広場にて、宮司(ぐうじ)が祝詞(のりと)が奏上され、広場では御神馬(白馬)がグルグルと歩くそうです。
    白馬祭ですが、鹿島神宮境内に神馬が疾走する勇壮な鹿島立ちの神事であり、白馬祭は日本三大白馬祭のひとつに数えられ、約750年の歴史を持つ祭事で、白馬祭当日、鹿島神宮から甘酒と七草粥の振る舞いも行われるそうです。
    ちなみに白馬祭では、御神馬(白馬)が歩くところにハンカチ(小石)等を置き、御神馬(白馬)に踏ませるそうです。
    白馬祭の御神馬(白馬)に踏まれたハンカチ、小石を持つと心願が叶うと伝えられており、ハンカチ、小石は、恋愛成就のお守りになるという民間信仰もあるそうです。

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