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今週末の9月2日(土)、3日(日)に成田市宗吾に鎮座する宗吾霊堂こと鳴鐘山東勝寺にて御待夜祭(おたいやさい)が開催されます。
宗吾霊堂は、宗吾様の名で親しまれる成田の古刹で、9月の第1土・日曜日に開催される御待夜祭や、成田の紫陽花の名所として知られています。
宗吾霊堂の開基は古く、桓武天皇の時代、征夷大将軍・坂上田村麻呂が、房総を平定した時に、戦没者供養のために宗吾霊堂が建立されたといわれる真言宗豊山派の寺院で、宗吾霊堂は、江戸時代の義民・佐倉宗吾(木内惣五郎・佐倉惣五郎)が祀られているお寺であり、寺名は鳴鐘山東勝寺といいます。
御待夜祭は、今から約350年前、打ち続く凶作と、過酷な重税に苦しむ農民を救うため、当時禁じられていた将軍への直訴を決行し、処刑された義民・佐倉宗吾(木内惣五郎・佐倉惣五郎)を偲び、命日にあたる9月第1土・日曜日に開催される宗吾霊堂の例大祭です。
御待夜祭ですが、1802年(享和2年)、佐倉宗吾(木内惣五郎・佐倉惣五郎)の150年忌の供養が行われたとき、台方村が総代となり、笹踊りを興行したのがはじまりとされています。
御待夜祭では、例大祭両日(土曜日・日曜日)鳴鐘山東勝寺御本堂で信徒安穏の大護摩の修行があり、日曜日の大護摩修行の11時00分からの法要は、御開帳並びに大般若経六百巻転読会の特別法要が行われるそうです。
また御待夜祭当日、宗吾霊堂・鳴鐘山東勝寺の広い境内に、たくさんの露店がところ狭しと立ち並び、家族連れや、子供たちの楽しげな笑い声があふれ、賑やかな活気に包まれ、宗吾霊堂・鳴鐘山東勝寺境内は、昭和30年代にタイムスリップしたかのような懐かしい古き良き日本を感じさせる雰囲気に包まれ、ヒグラシの鳴き声が夕闇に溶け込む頃、露店に灯りがともり、祭りはいよいよ盛り上がりをみせるそうです。
御待夜祭では、目移りするほどズラリと並んだ露店を巡って、イカ焼きや、あんず飴、お好み焼き等、祭りならではの食べ物を楽しめたり、金魚すくいや、射的、型ぬきや、輪投げ等の遊びに興じることができ、童心に返れるお祭りとなっており、宗吾霊堂・鳴鐘山東勝寺境内には、300を超える露店が立ち並ぶそうです。
また御待夜祭では、宗吾霊堂・鳴鐘山東勝寺周辺の沿道で、子供達及び大人達により、屋台が威勢良く曳き廻され、また剣道・弓道の大会や、各種民芸・カラオケ大会等、様々なイベントも行われており、御待夜祭は成田の秋の風物詩となっています。 -
今週末の9月1日(金)、2日(土)に茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮並びに鹿島神宮周辺を会場に鹿島神宮例祭・提灯まち・神幸祭・行宮祭・還幸祭が執り行われます。
鹿島神宮例祭ですが、9月1日(金)10時00分から執り行われる祭典で、鹿島神宮で行われる年間祭儀のうち最も重要な祭典であり、6年毎の子年・午年には宮内庁より勅使の参向があるそうで、今上陛下の大幣帛が鹿島神宮の大前に奉され勅使より御祭文が奏上されるそうです。
また、その他の年も宮内庁より勅使が参向されるほか、神社本庁献幣使・責任役員総代会長・行政首長・香取神宮宮司を始め、県内外の神社関係者・氏子崇敬者約500名が参列されるそうです。
(この時間は鹿島神宮本殿前広場にお入りいただくことはできませんのでご注意下さい。)
提灯まちですが、9月1日(金)16時30分頃執り行われている行事で、各家庭から奉納される小提灯や、大船津をはじめとした各区・団体から奉納される、青竹に数百の提灯をつけた大提灯十数基が、鹿島の神の渡御の道筋を照らすそうです。
鹿島神宮表参道の賑わいの中を進んできた大提灯が、鹿島神宮楼門前の銚場で麦わらの火にくべられて焼納される様はなかなかの迫力だそうです。
神幸祭とは、神社の御分霊を御神輿等に遷して氏子地域を巡幸するお祭りで、全国各地で見られる祭りの基本の形なのだそうです。
鹿島神宮においては、夜20時00分の発輿祭の後に本殿より出御した御神輿が平井地区の与丁に担がれ、鹿島新当流・鹿島神宮流鏑馬隊に周囲を警固され、神職を始め多くの氏子崇敬者からなる供奉員を引き連れて楼門、大鳥居、表参道である大町通りを進み、最後は楼門そばの行宮でお鎮まりになるそうです。
翌日(9月2日)に催行される行宮祭は、10時00分から執り行われる祭儀で、御祭神の御神幸における御旅所(行宮)での祭儀です。
神前に神饌が供され宮司が祝詞(のりと)を奏上、神前では巫女による神楽舞と、鹿島踊り保存会による鹿島踊りが奏せられます。
還幸祭ですが、9月2日(土)に執り行われる祭儀で、御神輿が出立する神幸祭に対し、御神輿が帰路につき御分霊が本殿にお戻りになる祭儀を還幸祭としているそうです。
行宮を出立し小宮作地区の与丁に担がれた御神輿は供奉行列を従えて本宮本殿に進み、この祭りをもって、例祭に始まる一連の祭儀は終幕するそうです。
なお、鹿島神宮神幸祭期間中、5台の山車が鹿島の町中を練り歩きます。 -
本日(8月27日)、富里市久能に鎮座する久能駒形神社にて久能獅子舞が奉納されます。
久能獅子舞ですが、約300年前から行われていたと伝えられている伝統芸能で、富里市に現存する郷土芸能の中で最も古いものなのだそうです。
久能獅子舞は、毎年4月3日と、8月最終日曜日に久能地区の人々の息災を願い五穀豊穣や、交通安全、家内安全を祈る行事で久能駒形神社の境内で執り行われています。
久能獅子舞の獅子舞は、頭の大きいものから順に雄獅子、中獅子(雄)、雌獅子と呼ばれる3匹の獅子により演じられ、笛と、大小太鼓の囃子に合わせて舞を踊るそうです。
久能獅子舞ですが、別名・やきもち獅子とも呼ばれており、1匹の雌獅子をめぐる2匹の雄獅子のストーリーが展開されます。
なお、久能獅子舞は、富里市の市指定無形民俗文化財に指定されています。 -
本日(8月27日)山武郡横芝光町大宮神社にて中台梯子獅子が執り行われます。
中台梯子獅子ですが、8月最終日曜日の風祭りに、五穀豊穣、悪霊払い、息災延命を祈願して行われる横芝光町中台地区の鎮座する大宮神社の獅子舞で、大宮神社境内の大銀杏に約15m(13.5m・7間半)、33段の大階段をかかげ、その上で獅子が囃子に合わせて勇壮に舞う伝統的な行事で江戸時代から続くといわれています。
中台梯子獅子は二百十日(立春から数えて210日目)に執り行われ、台風等の時期なので風を鎮め、五穀豊穣と、家内安全を祈念することから、地名の中台をつけて中台風祭り(梯子獅子舞・大宮神社風祭り)とも呼ばれており、大宮神社の境内で豊作祈願、害虫予防の獅子舞が奉納されます。
なお中台梯子獅子ですが、2009年(平成21年)4月に横芝光町の町指定無形民俗文化財に指定されており、中台梯子獅子では、大宮神社境内の周りを獅子が舞う際に、子供の頭を獅子に食べてもらうと、丈夫に育つといわれています。
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