新甲子温泉 甲子高原フジヤホテル(しんかしおんせん かしこうげん ふじやほてる)(福島県)

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  • 【必要のない幻想を売る必然】
    読書やスポーツが趣味ですが、以前は旅行、ドライブ、ホテルめぐりが加わっていました。今でも旅行を楽しみますが、写真のなかの思い出にしか残らない虚しさを感じ、仕事や用事の必然がない旅に出なくなりました。昔の旅は行商や巡礼、湯治などに限られていたはずです。19世紀以降に普及した楽しみとしての旅は今後衰退し、一方で学ぶための旅や働く手段としての旅、転地を伴うリトリートは増えると思います。ドライブも同様で以前は楽しみのために車を走らせましたが、今は必然的な移動を車で楽しむようになりました。ホテルめぐりも同様で、バーチャルな世界と割り切って楽しむ消費から関心が遠のきました。高級と言われる商材は、消費者が本当の顔を隠し仮面をつけてゲームとして楽しむものだと思います。高級という概念が本格的に商業化されたのは産業資本家がかつての支配階層の生活様式を模倣したことに始まり、消費者は自尊心を満たすフィクションを欲しがり、一方で事業者は買う必要のない幻想を売る必然があり両者のニーズが合致したのだと思います。

  • 【失う不安がない幸せ】
    二十歳前後の学生と話していると、自分の学生時代に興味の対象であった自動車や旅行などの高額商品への関心が低いのは明白です。以前なら消費への憧れが仕事や勉強のモチベーションになりましたが、今の若者は違います。一方、内閣府の「国民生活に関する世論調査」では7割の若者が今の生活に満足し、他の世代よりも高い割合です。国際比較で見てもThe Global Youth Wellbeing Index で日本の若者は7位に上位ランクされます。希望を失うから幸せを感じるという意見もありますが、収入や世帯消費支出が減るなかで高額消費に関心を示さなくなるのは環境適応に見えます。意図してそうなったのではないにしても、お金を尺度に幸せを測らない傾向は本質をついていると思います。手痛い失敗を契機に消費への関心を失った今のほうが以前より幸せを感じる自分のように、失うことで本質を得るものかもしれません。いくら金銭的に充たされていても情熱や愛情や健康を失えば心は満たされません。持てば失う恐怖が人を不幸にします。お金があれば何でもできると思っても時間を取り戻すことも愛情を買うこともできません。持たざる若者は失う不安がない分幸せなのかもしれません。

  • 【20年経ってもまだ半分】
    週1回学生と接するとき自分の年齢を考えずにはいられません。自分が使うたとえ話が彼らが生まれる前の話だったりするとき、月日の過ぎるスピードを感じます。アラフォーになったのも随分前ですが、若いと思っていたのに人生が半分しか残っていないことに愕然としました。しかし、寿命が伸びているためか、単に楽観的なのかあれから20年ほど経った今でも人生が半分残っていると思います。ヘイフリック限界を信じるならヒトの寿命は120歳あたりですから、まだ半分しか生きていないと強弁できます。年を取ることを人はネガティブにとらえますが、脳も筋肉も成長を続けることが分かっていますので、悲観する必要はないはずです。人は生まれたときから死ぬ運命にありますが、悪夢は身体が徐々に弱り人生の残り時間に怯えながら暮らすことだと思います。人体はよくできていて、間違った使い方さえしなければ生活に不自由なく寿命を全うでき、老年的超越により年を重ねるほど幸せになると信じています。

  • 【健康理論は一つだけ】
    世間には「○○に効く」といった健康本が無数にありますが、いずれも著者の個人的な意見を超えるものではないと思います。エビデンスのレベルが上がったと言っても、そもそも正しいエビデンスが世の中に存在しない以上同じことです。健康ノウハウが個人的意見である以上それらは互いに対立します。ひとつだけ健康理論を選ぶなら、人体があるべきところに自ら戻ろうとする恒常性を邪魔しないことしかありません。人間の身体は夜眠ることで疲れを取り、朝太陽を浴びることで夜眠る準備を始めます。人体が想定した飢餓時代に近い食べ方、人類の長い歴史に沿った肉体労働や移動、人との助け合いなどを心がければ、化学物質で汚染された現代社会においても健康長寿を全うすることは容易です。癌や糖尿病といった生活習慣病を防ぐ方法も、いつまでも若々しくいる方法も、お腹の脂肪を落とす方法も、腰痛や肩こりを防ぐ方法も、疲れを残さずいつも頭が冴える方法も、全て同じです。健康になるためのセオリーは、人体の設計思想に忠実に生きること以外にないと思います。

  • 【食べ物は芸術?】
    昨日は「蒲田初音鮨物語」を読みました。1893年(明治26年)から126年続く老舗寿司屋が、廃業寸前から予約の取れない10年連続ミシュラン二つ星店に変貌する話です。今日が人生最後の日なら最高の寿司を出す、というコンセプトで5,000円だったコースを2017年以降、25,000円、35,000円、45,000円と毎年1万円ずつ値上げしています。仕入れる魚の値段を聞いたことがなく、原価率は8割に届きわずか8席の店なのに仕入れだけで年間1億を超えます。これは外食経営の発想ではなく最高の寿司を具現化するアートの世界であり、生き様そのものです。最近になり夕食を二部制から三部制にしたことで、この事業は利益を生み出すはずです。読み終わって清々しい気分になるのは、ROE的な事業発想が今後のビジネスでは足かせになる可能性を示唆している点です。他方どこか後味が悪いのは、最高の食べ物はプライスレス=高いという発想は、単純過ぎて抵抗を感じます。写真はFBから拝借した店のまかない料理です。

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