新甲子温泉 甲子高原フジヤホテル(しんかしおんせん かしこうげん ふじやほてる)(福島県)

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全778件 86~90
  • 【客を切れない外食】
    仕事は、し始める方法が大切だと思います。自宅で仕事をするとメリハリを失いがちですので朝マクドナルドに行きます。近所のマクドナルドは近くに図書館もあり、人との打ち合わせにも使え、昨今は店内の雰囲気も洒落ていて気分はコワーキングスペースです。自販機と変わらない値段の飲み物だけでワイファイや電源まで使えて有り難い存在です。昨日は前に高齢の男性客がいて、店に入るなりナフキンを数十枚ポケットにしまいます。注文したコーヒーが出る間にカウンターにあったシュガースティック30本ほどとミルクをやはりポケットにねじ込みます。原価率の低くない100円のコーヒーでモラルの欠けた客を相手にするマクドナルドは大変だと思います。別の高齢の客は悪気はないのですが独り言がひどく、周りで仕事をしていた若者は集中できず席を立ち、自分もイヤホンの音量を上げなくてはなりません。外食経営を難しくしているのは、自分のようなバーゲンハンターも含めて、会社に損失を与える客です。90年代以降流行った顧客満足経営の大切なエッセンスは不適合顧客をビジネスから締め出すことですが、外食企業の多くはそれを実現できずにいます。

  • 【執着と愛着の境界】
    昨日は渋谷まで歩きました。街を歩くと執着を生み出すものばかりが目につきます。開店前のパン屋には行列ができ、松濤には豪壮な住宅が並び、そこには高級車も必要になります。執着を捨てることでしか人は幸せになれませんが、経済は執着を増殖させることでしか成長できません。こんまりメソッドや断捨離が世界に波及するのも、執着の生み出す際限ない欲が人を苦しめることに気づき始めたからです。執着と似たものに愛着があります。他との比較が可能なものが執着で自分なりの尺度を持てるものが愛着だと思います。同じ自動車でも長年持ち続けると愛着ですが、何年かで買い換えるなら執着でその境界は曖昧です。ブランドものとされる商品の多くは執着を生みますが、世界はよくできていて低価格なものほど執着を生まないで済みます。

  • 【60、70代は現役世代】
    昨日は雲取山に登りました。東京都最高峰の百名山とは言え、歩きやすいトレイルは急な登りもなく小学生でも登れます。6時半に鴨沢の駐車場を出発してスピードハイクなら2時間少々で山頂に着き、山頂でのんびりしても11時には下山できます。山頂で写真を撮ってあげた男性は66歳だと連呼しますが、60代は老け込むような年代ではありません。周りでは80代の現役や、70代で100マイルレースを完走する人は珍しくありませんから、今や現役世代の60代が雲取山に登っても自慢になりません。空腹時の有酸素運動がケトン体とミトコンドリアを活性化させますので、前日の夕食以来水をのぞいて無補給ですが、3、40km程度までの山歩きであればエネルギーが切れることはありません。テント泊で縦走する妻と雲取山で別れ、公園の散歩道のような美しい新緑の森をラブラドールとゆるランで下りました。

  • 【グルメ情報がかき消す内面】
    水を控えるだけで長年の胃の不調が回復して食事が美味しくなりました。食事が美味しいのは最初の1口目だけという事実を大半の人は知りながら、その刹那的瞬間のために労を厭いません。コース料理で美味しいのは前菜だけでその後の料理はあまり美味しくありません。真夏に飲む冷えたビールの最初の一口はお酒を飲まない自分でも美味しく感じますが、それ以降は惰性で飲んでいるだけです。人は食欲を単純なものとみなしただ満たそうとしますが、食欲にはムラがあるという重要な性質を見落としています。過食を続けると満腹中枢が機能しなくなり、脳の低血糖状態である空腹感が中毒症状を引き起こし食源病になります。静かに自分の内面を観察すれば過食を止めることはできますが、世に氾濫するグルメ情報や企業のプロモーション、便利すぎる生活がそれをかき消すと思います。

  • 【戦争責任の帰趨】
    昨日は靖国神社に寄りました。靖国神社に来る日はいつも快晴ですが、ここを特別な場所にしているのは参拝者が作り出す独特の雰囲気だと思います。インバウンドであふれる明治神宮とは異なり、白百合学園の関係者なのか申し合わせたような濃紺スーツの女性が集まり、戦中世代の白髪の男性が深々と頭を下げて境内に入って行く空気は、日本人から見ても特別な場所です。決して広大ではない神社の裏手には都心とはにわかには信じがたい、巨木の森があり英霊が帰るにふさわしい厳かさがあります。遊就館の零戦のエンジンは今にも息を吹き返しそうで、戦争を遠い記憶にしてはいけないことを戒めているようです。戦犯合祀が外交問題になりますが、ヒトラーのような個人に戦争責任を押し付けられない日本固有の問題なのかもしれません。

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