新甲子温泉 甲子高原フジヤホテル(しんかしおんせん かしこうげん ふじやほてる)(福島県)

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  • 【未来は生きる力を育む】
    物騒な話ですが来年のオリンピックが終わると死ぬ人が増えると思います。21世紀をこの目で見たいと思っていた人は、21世紀の幕開けを見届けて亡くなったといいます。まだ見ぬ未来は生きる力を育みます。残念なことに日本の未来はバラ色とは言えず、今の社会に生きる原動力と言えるほどの力はありません。生きる力が健康や幸福を支配しますから、人生を人任せにせず主体化することが大切だと思います。恵まれていても、未来に展望もなくただ今を消耗するような生き方は虚しく、情熱と生命力は先細っていきます。情熱を生むには挑戦が必要ですが、必要に迫られないと人は挑戦をしません。誰もが安楽で苦労のない人生に魅力を感じますが、恵まれることの罠は生きる必然を見失うことです。未来に向けて自分のスキルにレバレッジをかける努力をしなくなれば、いつかは終わりを迎える残りの人生の恐怖とともに生きることになると思います。

  • 【エネルギー消費は豊かさの象徴?】
    唯一無二の普遍的通貨であるエネルギーを軸に人類史を遡る「エネルギーの人類史(上・下)」を昨日読みました。人間の筋肉が唯一の原動力であった時代から、より高い効率を生み出す家畜が使われるにようになり、筋肉の力学的効率によって決められていたエネルギーはやがて水力、風力、非生物原動力の蒸気機関へと発展しながら労働生産性を高めてきました。いまや経済的に恵まれた上位4分の1と下位4分の1の人が直接利用するエネルギー量の差は40倍とされます。19世紀のイギリスの刑務所で懲罰手段として導入されたトレッドミルを、現代人はスポーツクラブでお金を払って踏みます。歩くか走るという2つの移動様式で個人の移動の全てが占められていた時代ははるか彼方ですが、現代人を夢中にさせるトレイルランニング競技はあたかもその時代に回帰するトレンドに見えます。世界中を震撼させたアメリカ同時テロのハイジャック犯が持っていた武器は数本のカッターナイフだけでした。後期旧石器時代から3万数千年の隔たりで定住生活様式に移行するに従い足の骨の曲げ強度が低下していること以外、人体は以前とさほど変わっていないと言います。40倍のエネルギーを消費するようになった日本人の今の生活が、本当に進歩の結果得た豊かさだったのか考えさせられました。

  • 【人は遺伝子の乗り物に過ぎない】
    健康本の大半は医師や治療家によって書かれたもので、医師免許という権威を背景に各々自説を唱えます。しかし医療費も医者も増えているのに、病気は減るどころか増え続け、いまや2人に一人が癌になる時代です。理由は明らかで病気を患者が作り出しているから、本人が生活を改めない限り病気は減りません。生活習慣病が主題となる21世紀には、医学の役割は発症メカニズムの究明に向けられるべきだと思います。もうひとつの問題は一分野の専門家が、複雑な人体というエコシステムを扱うことの弊害です。ホリスティックな観点から関連する全ての分野を結びつけて考える必要がありますが、現在の縦割り医療システムはそれに適合していません。あらゆる知識を関連させてつなぐ輪が必要で、そうした信念なしに21世紀の医療は成立しないと思います。それは太古の昔から人体に刻まれた記憶である恒常性を知り、そのデフォルトに忠実に生きることに他なりません。なぜならわれわれ生物の個体は、遺伝子を後世に伝える乗り物に過ぎず、その目的のための仕様書である遺伝子に支配されて生きているからです。

  • 【マインドフルネスブームの迷信】
    人は食べなくても何日も生きられますが、呼吸が止まると数分で死にます。昨日読んだ「人生が変わる最高の呼吸法」は、呼吸に対してあまりに無頓着過ぎることを考えさせられる本でした。喘息を始めとした不調の原因が吸い過ぎにあるというのは盲点です。鼻呼吸の有用性は知っていましたが、マインドフルネスや呼吸法の本が、この点を強調してこなかったことは意外です。日常生活と中程度の運動を鼻呼吸で行い、息を止めるトレーニングにより高地トレーニングと同じ効果が得られると言います。食べ過ぎが身体に悪いことは大半の人が知っていますが、水の飲み過ぎと空気の吸い過ぎについてはいまだに誤解や迷信があると思います。呼吸の目的は体内にある余分な二酸化炭素を排出することですが、排出されずに体内に残る二酸化炭素が一定量残っていないと正しい呼吸ができない点を見落としていました。無節操なマインドフルネスブームは深い呼吸という迷信を広めていますが、安静時も運動時も軽い呼吸を心がけるだけで健康と運動能力の向上に効果があるという話は、痛快ですらあります。

  • 【幸福の正体】
    戦後最悪の放火殺人事件に接すると、幸福を語る軽薄な愚かさを思わずにはいられません。豊かな生活や幸福を求めるパラダイムこそ不幸の起源であり、求めることではなく気づくことが見落とされています。幸福は難しい話ではなく、健康、人とのつながり、情熱の3つだと思います。突然失われた33人の日常にはおそらくそれがあったはずです。たとえ他のすべてを失ってもこの3つが残れば人生は満ち足りたものになり、ことさらに幸せを求める意味などなくなります。手垢のついたステレオタイプの幸せは一見魅力的で人々を引き寄せ、そこには金脈があります。幸福をネタに商売をする人に共通するのは、幸せを阻む恨みや執着など金にならない現実的、本質的な問題には目を向けないことです。人生の喜びは自分で見い出すものであって人から与えられたり教えられるものではありません。都市がもたらすお気楽な快楽がないと幸せを感じられない人は不幸です。幸福ビジネスは、すでに充たされている人にその事実を知らせず、いつも欠乏を感じさせ幸福を追い求める幻想で金を取ろうとします。

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