新甲子温泉 甲子高原フジヤホテル(しんかしおんせん かしこうげん ふじやほてる)(福島県)

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  • 【国防と戦争の境界】
    那覇は早くも初夏の風情で、首里城に続く古い石畳を登ると半袖でも汗が吹き出します。沖縄に来ると戦争について考えさせられます。20万人以上が犠牲となった地上戦ばかりでなく、海の犠牲者も少なくありません。学童疎開船対馬丸の悲劇は有名ですが、一般の沖縄県民が乗船して撃沈された戦時遭難船舶が26隻に及ぶことを知りました。こうした史実と向き合うとき、とても戦争を肯定する気にはなれません。一方でその根拠は何であれ、隙きあらば国境線を書き換えようとする隣国がいることも事実です。訪日観光客で溢れる首里城の上空を飛ぶF15を見ると、国防と戦争の曖昧な境界について考えさせられます。

  • 【NO WORK, NO LIFE】
    今朝は南国らしい鳥の声と甘い花の香りが清々しい那覇に来ました。一応仕事です、と言いたいところですが第一の目的は花粉症から逃れることです。しかし事業のための調査も兼ねています。今は「仕事」の概念が曖昧でプライベートと分離できませんしする必要もありません。以前なら一定精度の事業収支計画を立てましたが、今は多少の現地調査と自分の直感だけで収支計算は暗算できる範囲ですから投資判断はすぐに出ます。かつて好きなことを仕事にするノウハウ本がもてはやされましたが、この手の本が役に立たないのは、好きなことがあたかも仕事になるかのような幻想でミスリードするからです。好きなことに市場価値があるとは限らないのですがその点に関しては楽観的です。サラリーマン時代は市場に訴求する価値ばかり考えてきました。仕事と暮らしの垣根が消えた今は、そこに好きという要素を加えることができます。

  • 【中庸の難しさ】
    昨日は娘の高校の研究発表会に行きました。多くの生徒が仕事以前に自分らしさを表現でき、人を幸せにできる生き方を目指していることが印象的です。幸せの形を追求すると中庸に行き着くと思います。中庸が示す偏らない平常こそが幸せの本質だと思います。プライベートジェットから拘置所へ行ったカルロス・ゴーンや、絢爛豪華な王宮生活から最期は寒空の下で銃殺されるルーマニアのチャウシェスクのような教訓に真実があるのは、それが偏った非常だからです。飽和した消費社会が生み出す一見豪華なステレオタイプの幻想は歯止めの効かない退廃に通じます。安楽で豪華な生活が狂気なら、上昇志向を煽る典型的なサラリーマンの生活も中庸とは程遠いと思います。一方で世俗を絶つことにも偏りがあり、中庸の言わんとするところはバランスを保つことの難しさだと思います。

  • 【仕事そのものが人生】
    耳にする機会は減りましたがワークライフバランスという言葉には違和感を覚えます。その意図するところはワーク=苦、ライフ=楽のバランスを取る、仕事性悪説にあると思います。日本人のメンタリティは公私混同を嫌いますが、時短の議論はみなし残業など仕事とプライベートの明確な線引きを要求します。日本の生産性が低い理由は公私を明確に分け現役時代の大半を仕事に捧げる滅私奉公という過去の亡霊にあり、それが仕事嫌いを増やしたからだと思います。働くことが義務であるからそこには好き嫌いの選択余地はなく、一方働くことが権利行使になり、感覚の近い人と、共感できる仕事をすれば仕事そのものが人生になり、公私も苦楽も融合していくと思います。問題は多くの企業がこのパラダイムシフトに適応できないことです。

  • 【昔は優れていた】
    飛行機に乗るとき新しい機体だと安心しますが、5ヶ月間に2機が墜落した737MAX型機や日本でのエアバス機の墜落などハイテク制御された最新鋭機こそ危険が潜んでいます。最新が最良と人は考えますが、不便で完成度の低い商品が市場には溢れています。商品に限らず、最新の研究、文化、そしてわれわれの肉体や頭脳についても同じことが言えます。突如絶滅したネアンデルタール人の方が現代人より優れた能力を持つと指摘する研究者もいますが、旧石器時代の人類は現代人が失った高い身体能力を持っていたと思います。学術研究の世界においても、近代的なエビデンスなどというシュガーコーティングがされても、その本質は古代ギリシャにおける哲学者の洞察力には遠く及ばないと思います。

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